時間があるのにブログが書けない理由|必要なのはシンプルな欲⁈

 

ああ、もっと時間が欲しい…。
一人の時間がもっとあれば…。

何かを生み出したいとき、どうしてもそんな思いが頭を埋め尽くしてしまいます。

 

でも、時間がたくさんあっても、何かを生み出せるわけではないです。ブログ記事ひとつでさえ。何もしていないのに、パソコンの前で悶々と過ごすだけの時間がもったいなく感じる。。。じゃあ、何かを生み出すのに本当に必要なものって、一体なんなんでしょうか。

結論

結論から言うと、「こんなものを作ってみたい」という、ただの欲求なのかもしれません。答えはいつもシンプルです。

 

時間があったのになにもできなかった10年

 

ぼくは写真を取ることが好きです。
なのに、Instagramで写真を投稿するのに10年もかかってしまったんです。。。

その原因はおそらく、「ぼくの写真を見て誰が喜ぶんだろう」

をずーっと考えていたからだと思います。

でも最近気づいたのです。1番最初に写真を見るのは、ぼく自身だったんです。つまり、この第一閲覧者(ぼく)をまず喜ばせることが肝なんです。

 

誰のために作るのか

簡単に言ってしまえば、どこぞの誰か、のためにぼく自身をなおざりにしていたんですね。”誰かのため”は別に悪いことではないんですが、自分を置き去りにしてはなりませんね。

 

10年ほど前、Instagramで「何か」を表現したいと思っていた。

「何か」がずっとはっきりしない。

投稿したいと思っているのに、フォルダの中を漁ってもそれらしい写真が一枚も見当たらない。

そんな状態が10年。。。いや長すぎる…!とっとと投稿しろ……!

 

ブログも同じだと思うんです。まずぼく自身が面白い、と思うものを書く。

例えばこの記事が誰の目にもとまらなかったとして…、それでも1人だけ記事を読んで良かったと思える人がいるんです。ぼくです。

執筆者自身も面白くない。読者も面白くない。
それだと、この記事があまりにも可哀想です。

 

 

 小さな欲求に、小さな行動で答える

とはいえ、時間がないのは事実。そんなときは

欲求が湧いたらなるべく行動で示してあげるようにしています。すぐでもいいし、数日空いてしまっても大丈夫。というか、まだその欲求が残っているならむしろ行動してあげるべきだと気づきました。

 

ちょうど最近…

シフト制の仕事から転職

週休二日制の仕事がスタート

慣れない生活リズム・家事・子供の習い事

新しい環境の疲れやストレス

こんな具合で、正直自分のペースを完全に見失っていました。

 

小さくてもこころの信頼

それでも…。

 

娘のバスケの送り迎えの車の中、十数分でOK。それでもしんどいときは明日でもOK。

そんな心構えで写真のリタッチや投稿。頭の中のもやもやをメモアプリに書き出しブログネタへ。そんな小さな行動がこころの信頼につながっている気がします。

 

量 < 向き合っている時間

そう思うと、あの頃の悶々とした時間に対しても見方を変えられる気がします。パソコンの前で何も手につかずに悶々としていた時間。実は何もしていなかったわけじゃなかった。

コンテンツと向き合い、考え続けていた時間。

人は「時間ができたらやろう」と思いがちですが、

 

実際は時間の量よりも、対象とどれだけ向き合っているかの方が大事なのかもしれません。

悶々としていた時間も、大切な時間。

 

自分らしさは副産物

何かを生み出すのに時間は必要。でもそれだけでは何も生まれない。必要なのは、「これをやってみたい」という純粋な欲求。とは言え、口で言うほど簡単ではありません。だからこそ…

 

他人からどう見えるか、失敗しないか、そんな不安が邪魔なんです。欲求に従うことそのものが、実は小さな勇気なのかもしれません。

ブログで言えば、公開ボタンを押す勇気。それが結果的に自分らしさにつながる。

欲求に何度も答え続けた先に、自分らしさが見えてくる。その循環を大切に。

自分らしさは副産物。

 

PS.

というわけで、いまから車で小一時間の神社に行って写真をとってきます。ここまで読んでいただきありがとうございました。

今日もあなたにとって、良い1日になりますように^^

 

今回のメモ

時間があるだけでは、何も生まれない
悶々としている時間も、対象と向き合っている時間
曖昧な「作りたい」を放置せず、小さなきっかけを拾う
必要なのは時間ではなく「やってみたい」という欲求
自分らしさは副産物