他人軸に巻き込まれそうな時の対処法は「へぇー」である。
否定的な人。コントロールしようとする人。「こうあるべき。これはこうでしょ。」を必要以上に押し付けられるうちに、気づけばこちらまでその人の価値観で自分を測り始めてしまうことがある。
別にその考え方が間違っているわけではない。でも、いろんな考え方があるから面白い、というのがぼくの持論。
少なくともぼくは、自分の感情は率直に伝えて、あとは本人に任せるほうが気が楽だ。
とはいえ人生いろいろある。
どうも、他人軸へ巻き込もうとする状況への対処法は「へぇー」である。
「こんなことをする子だとは思わなかった。」、「もっとできるやつだと思った」。
「へぇー」である。
1へぇー、2へぇー。余裕があれば「へぇー」に測定値を付けても良い。
もし20へぇーに行くようなことがあれば、体を45度くらい前に倒してしっかり話を聞いたほうがいい。きっと為になる。
「へぇー」だけでなく。「屁」も出せたら大したものだ。相手方が一生懸命になっているところへ、「屁ぇー」を出されたら、他人軸へ巻き込む気力はしぼんでしまうだろう。
余談はここまでにして、少し真面目な話に戻る。そもそも真面目な話は始まっていたのか。
他人軸への対処法はいわゆる自分に戻れる状態をつくることだと思う。平常心とも言えるが、平常心なんて、そうあろうと思えば思うほど遠ざかっていく。揺れないことじゃなくて、戻れること。
ぼくの場合は、瞑想、ジャーナリング、自分の時間の回収、ランニング、散歩、実家へ帰る。自分時間の回収とは、自分にとって意味のあることをする、ということ。ぼくにとって意味のあることとは満足感・納得感が生まれるもの。
他人の言葉でいっぱいになった頭の中を、もう一度自分のもので満たしていく。書くことでもいい、ランニングでもいい、ぼーっとするでもいい。つまり自分を穏やかな状態へ帰す。原点復帰。元の気に戻る。勝手にそれを「元気」と呼んでいる。
少し元気になったところで、Mr.なぜの登場である。
Mr.なぜといっしょに少し深くもぐる。「そもそも自分は何をしたかったんだっけ?」「なんでそれをしたかったんだっけ?」他人の「こうあるべき」ではなく、自分の「どうありたい?」を聞き直す。
ぼくの場合、写真を撮る、絵を描く、デザインをする、年齢とサッカーの実験をするetc…。やりたいことが多すぎてどれが自分に合っているのかなんて未だに分からない。早くわかりたい。
でもやっている間は少なくとも誰かの「こうあるべき」ではなく、「やってみたい」の中にいる。今はそれでいいと思っている。絶対はない。だからこそやってみる。写真?デザイン?絵?サッカー?それとも他のなにか?わからないから、少しでも「ん?」と思った方へ進んでみる。ぼくはそれを「Spark ー きらめき ー」と呼んでいる。「こうあるべき」から「ちょっとやってみたい」へ。
平常心を取り戻して、自分の世界へ帰っていく。そして、普段の生活では「あ、いま他人軸へ巻き込まれようとしているな」と自覚するだけで良い。それだけで、距離が取れる気がする。あとは、多分なにもしなくていい。
こんな文章を、へぇーと思って読んでくれれば幸いである。